「茶屋花冠」主人・松本青山
佐原商家町をぶらり歩く
日本一の祭りがあるからと友人に連れられ、佐原の大祭に参加したのがことの始まり。
佐原という商家町に惚れ込み、料理屋を経て「茶屋花冠」を作った松本青山さんに、
この町の魅力を伺いました。
写真・板野賢治、脇屋徳尚(佐原の大祭)/文・増本幸恵
「小江戸と言われるけれど、むしろ小京都。
大正ロマンが色濃い町だと思う」
佐原は、東日本で初めて伝統的建造物群保存地区に指定された町です。佐原の中心を流れる小野川と、これに交差する香取街道沿いに、江戸時代から続く商家や土蔵、洋館などの伝統建築が並んでいます。家々の表玄関が川に向けられ、川沿いのに「だし」と呼ばれる階段状の荷揚げ場が残るのは、この町が舟運で栄えたあかし。利根川につながる小野川と、香取街道や銚子道といった陸路との接続点であることから、江戸への荷の集積地として賑わったのです。
「佐原はよく小江戸と言われますが、佐原の黄金期は江戸時代後期から大正、昭和の戦前にかけて。大正浪漫の色が濃く、近江商人が多く携わっているので、小京都と呼ぶほうがしっくりきます」と松本さん。
商売に長けた近江商人がこの地に目をつけたのは、佐原が自民自治が許された江戸幕府の直轄地(天領)であったこと。町衆はおもてなしの精神をもって自由に商いをしました。そのため価格競争やサービス競争が起こり、商業の質がずば抜けて良く、銀行の支店1号店や50もの証券会社、デパートがひしめき「昼も夜も眠らぬ町」と言われるほど栄えたのです。
「佐原は先の大戦で空襲を受けていないため、古い町並みが今に残されています。和と洋の伝統建築が、生活空間の場に溶け込んでいるのが魅力。背伸びをせずに、Tシャツ1枚でふらりと町を歩けるところが好きです」
「好きな季節はと聞かれたら、3月中旬。
川に枝垂れる柳の花が、春を教えてくれるから」
3月、桜に先駆けて、ねこじゃならしのような柳の花が咲きます。「船上から見上げると、川に枝垂れるこの花が春を実感させてくれます。佐原は商人の町ゆえに柳なんです。柳は1月下旬に何よりも早く芽吹くため。対して武士の町は桜です」。柳の緑が鮮やかになって水面に青空が写るようになる頃、田んぼでは田植えの姿が見られ、蛙の声が聞こえてきます。夕方、篠笛の音が耳に届きだすと佐原の夏のはじまり。小学校などで子どもたちがお囃子を練習しているのですね。
6月は菖蒲祭り。何百種類もの菖蒲が咲き誇り、水の郷らしい艶やかな景色に目移りします。7月になると佐原は夏祭り一色です。秋祭りと並んで関東の三大山車祭りに数えられ、世界無形文化遺産に登録された祭り。夏祭りが終われば盛夏、かき氷が本番。そして迎えるお盆の風景に夏の終わりを感じます。
9月、佐原はどこよりも早くお米の収穫が始まり、あちらこちらで天日干しの稲束を目にします。夜の散歩道では満月とすすきの共演も見事。やがて神社では桜や楓が美しく紅葉し、そうこうするうちに町にお正月ムードが漂います。佐原の門松は筒切りの「寸胴」、斜めに切った「そぎ(節入り)」、「そぎ(節なし)」と3種類が混在し、ここにも商家町ならではの豊かさを感じます。そして2月、町中が梅の香りに包まれます。
「300年の歴史を持つ佐原の大祭。
子どもから大旦那まで、
全世代が等しく参加していることに感動します」
香取神宮のお膝元である佐原には、東の八坂神社、西の諏訪神社があります。佐原の大祭は年2回。7月の八坂祇園祭には山車10台、10月の諏訪祭では山車14台が曳き廻され、町中が熱気に包まれます。高さ9メートルにおよぶ山車が家々の軒先をかすめながら巡行するさまは圧巻です。
この祭りで印象的なのは、老若男女、皆が主役であることだと松本さん。「祭りの日、町を離れた若者たちも故郷に戻り、はっぴ姿にねじりはちまき。手踊りの子どもや女性、曳き廻しを受け持つ若衆、指揮をとる旦那衆、あらゆる世代の町衆が同じぐらいの比率で参加しているのです。“佐原よいとこ水の郷 サッサ佐原はヨイヤサ~”という佐原囃子があるのですが、妊婦さんがお腹に手をあてて歌っていたり、茶髪の若者が車で大音量で流していたり。そんなところが好きですね」。
大人形をのせた山車は古いもので江戸後期の作。人形はもとより、この山車飾りは一見の価値があるという。「佐原は財力がある町ですから、当時の有名な彫刻家たちが山車飾りを造り、それを全町こぞってやるものですから、それは見事。匠たちの精巧な彫刻に佐原の粋が見て取れます」。
「冬、お酒や味醂の仕込みが始まると、
町中が新米を蒸した甘い香りに包まれます」
豊かな水と平野、陽光に恵まれ、佐原は昔から関東一の米処として栄えてきました。さらに江戸時代、上杉家と伊達家のお米を江戸城下へ流通させる拠点だったこともあり、お米の扱いに長け、米糀を用いた醸造技術を発展させてきました。かつて佐原には30軒以上の酒蔵がありましたが、今では2軒を残すのみ。そのうちの一軒、「馬場本店酒造」は江戸時代後期に糀屋として創業し、5代目からお酒を造るように。糀屋としての名残を感じる銘柄「糀善」で知られます。「馬場本店さんは、江戸時代から続く製法で白味醂を造っていらっしゃり、それがなんとも味わい深いのです」。
江戸時代に建てられた仕込み蔵は早朝から湯気が立ち上り、床にすのこと麻布が敷かれ、その上に手造りの糀が広げられます。男手は蒸し上がったもち米の桶を肩に担いで運び、女手は蒸し米に手際よく糀を混ぜ込みます。そして糀と混ざって粗熱がとれたもち米は、さらに男手によってタンクへと仕込まれ、その後60日間の糖化・熟成を経て、上品で深い甘味、複雑なうまみを持つ味醂ができあがります。
「町おこしに欠かせないのは、若者、ばか者、外者。
そのために佐原倶楽部があります」
これほど魅力ある佐原の素顔がなかなか外に伝わらず、地元はこの町の良さに気づかず、歯がゆい思いをすることがあると松本さんは言います。放っておけば、大正時代の蔵や趣のある古い洋館が新しいビルになってしまう。そこで松本さんが立ち上げたのが「佐原倶楽部」です。
佐原倶楽部とは、佐原というブランド価値を共有する仲間が集まり、新たな求心力となって、町を盛り上げていこうとするもの。古道具・古家具「ICCA」、「商家町佐原ホテルNIPPONIA」、「四季工房花彩り」、「仏像修復舎」、「酢之宮醸造所」という多彩なメンバーが揃いました。松本さんは言います。町を盛り上げるには、ときに無鉄砲なエネルギーを放つ「若者」、常識にとらわれず新たなことに挑戦できる「ばか者」、外から佐原に眠る原石を見つけ出す「外者」が必要。彼らが中核になることで、日常にも楽しみが見出せると。
インタビューのあと、昼食にと向かったのが、大正14年創業の「東洋軒」。松本さん一押しの「ポークジクセル」をいただきました。「いわゆるポークピカタなんですが、味付けは醤油と味醂の甘辛味。創業当時、ピカタというハイカラな西欧料理を取り入れながら、味付けは和風。まさに日本の洋食文化の原点を感じさせてくれる。こういう店が、町中にあたり前のようにあるのが、佐原の魅力なんです」。